エプソン L−410について


L-410
やっと田舎臭さから卒業した精悍なエプソン

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


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 ライカ判換算で34〜102mmF2.8〜4.9と2004年に登場したデジカメとしては、ちょっと広角寄りの焦点域。

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 起動時にLEDが光るのがエプソンの伝統性を感じるな。

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 このあっさりして目立たないグリップは効果的。
 光学機器メーカーも手ブレ補正ソフトを外国人から買うよりも見習ってほしい物だ。

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 スタイリングにエプソン的な弄りが無い。
 つまりL−400300のようなエグさが無くスマートに徹している。

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 インターフェイスも常識的。
 液晶画面のメニューに合わせてボタンを配置するとか、面倒な設計思想がエプソンのデジカメには付き物なのだが。

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 光学ファインダーが嬉しいな。
 記録媒体はSDカード、単三電池2本使用で使いやすい。


 かつて、デジカメ生態系において大きなポジションをエプソンが占めていた。エプソンとはPCサプライアイテムで今も強いブランド力を持つ「セイコーエプソン」のことだ。旧世紀には「SPEEDさん」をイメージキャラクターに採用するなど(古いなあ話が)軟派で柔軟性のある機動を展開しているが、拙僧らのオールドスタイルとしてはPC−98シリーズの互換機を投入し、国民機として君臨していたNECとタイマンを張るような度胸の座ったブランドだった。その特許闘争は勝利したか、極めて拮抗したと記憶している。これはデジカメの創世記というより、パソコンを中心としたガジェットアイテムの石炭紀かジェラ期の話なのだが。
 デジカメのカンブリア紀に創生となったのはカシオのQV−10だと言っていいだろう。年代としては1995年の事である。当時のライバルはリコーのDC−1とコダックのDC40くらい。アップルトーク150という懐かしいブランドも現れるが、作っていたのはコダック。そういう意味ではチノンがデジカメを輩出していたのだが、チノンとコダックは密接な関係にあり、チノンの独 自性は不正確である。オリンパスやフジフィルム、1996年に跨ぐとNECが登場するが、何れも実験的なモデルと言っていいだろう。リコーやコダックとカシオがなにが違ったかというと、カシオは初めから画質を捨てていた。分かり易い切り口だと撮影画素がリコーやコダックが41万画素級だったのに対し、カシオは25万画素級だった。それに、カシオのファイル管理は画質を落として沢山の画像を記憶するポリシーであり、実際に100枚近くの画像を撮影できた。現在の64GBのSDXCの時代からすると信じられないかもしれないが、当時のデジカメは内蔵メモリだけで構成していたのだ。「ちょっと画質がイイ」と言うだけで、撮影可能枚数が8枚なんてのも認められていたのだ。いや、認められていたかどうかは知らないが、実際にチノンやコダックにそういうデジカメがあった。そんな不甲斐ない基本仕様だったからかどうかは知らないが、エプソンやシャープ、セガと言った新興勢力が勃発したのだ。シャープはムービーカメラでニーズを構成していたから分かり易い。セガは意外よねえ。当時はプリクラの全盛期でゲームメーカーとデジカメの親和性が構築できたのだ。プリクラ自体はアトラスの発するところだが、セガと何かしらの密約があったのかなあ。そういえば、「女神転生」の深夜枠のショートTVドラマがあって、レイレイホウ(だっけ?)の女優が軽くエンクミ風で心地よく見ていた。「遠藤くみこさん」というだけで説明が必要なのか2013年は。拙僧もちゅー年になる訳だわなあ。
 エプソンが自社ブランドのCP−100を投入したのが1996年である。直接的なライバルはリコーのDC−2LやフジフィルムのDS−7/に相当するな。信じられないことにCP−100は液晶ビュワーを持たなかった。つまり、デジカメの優位性として挙げる「撮ってすぐ確認できる」というフィルム時代の価値観の打撃は不採用だったのだ。別にエプソンが手を抜いたのではない。デジカメの黎明期は液晶ビュワーの燃費が悪く、液晶ビュワーを非表示で撮影するスタイルは常識的だった。なので、液晶ビュワーを主体として画期的な市場を形成したQV−10とは別に、カシオはワザワザ光学ファインダーを登載したQV−70を戦線に投入している。エプソンの液晶ビュワー非搭載の路線は、オプションで液晶ビュワーを用意したCP−200を「柔軟的」と評価するには満たなくて、本格的にモダンデジカメのスタイリングを構成するのはCP−500の登場を待つことになる。
               ☆          ☆
 時間軸を一気に21世紀に進めよう。エプソンが年に1〜2モデルのペースでも継続的に新モデルを市場に投入した形跡は2003年まである。2004年には(フィルムカメラとしての)ライカフォロワーの福音となった有名なR−1Dが登場する。エプソンがなんと言おうと、これはコシナのベッサRにデジカメのユニットを組み合わせたものだ。軍幹部にクロノグラフ風のギミックを仕込んだと言っても、写真/画像を撮影するにおいてはエプソン、つまりセイコーの血筋らしい演出以上のものではない。R−1Dは本家大元のライツを継承するライカが「距離計連動デジカメ」を投入して以降も途絶えなかったようだ。その辺り、どの程度まで商品生産を継続させたのか、或いは製造を今でも継続しているのか、拙僧は知らない。そもそも、「距離計連動デジカメ」というデザインは矛盾で不合理だな。喜ぶのは爺か幼稚園児という未成熟なポリシーである。でもライカは押すらしいな。100万円クラスの「モノクロ専用機」もある。あれは「大陸人が、理不尽を理解しながら押し付け、押しつけが快感になって本質的な利益を失う(概ね人民裁判で人生を失う)」のと大して変わらないポリシーだと思うのだが。かつてはドイツ人と日本人は似た特性があるとおもっていたのだが、最近はドイツ人は大陸人と似た特性なのではと思っている。
 エプソンのコンパクトデジカメの血脈はL−300/400で途絶えていたと思っていた。なので本カメラを発掘した時には軽く驚きを感じていたな。そもそも、何でエプソンがデジカメなどと言うレッドオーシャンと関わりたいのか、ロジカル的にはちょっと良くわからいよな。確かに、エプソンのプリンターはパーフェクトだけど、PC本体のジャンルは既に撤収している。スキャナーとデジカメは画像処理のソフト系に共通項はあっても、物理的な生産ラインを確保するほど利ザヤが稼げるとは思えないな。本カメラが登場した2004年は現在ほど廉価カメラの兌換性の劣化は悲劇的ではなかった。それでもニコンのクールピクス4100やミノルタのDimageF300を相手に戦争をするということだ。それはシンドイ戦いになるなあ。どうも、エプソンの下級役員筋に相当にマニアックなカメラ好きがいるらしいのだ。現在も役職を全うしていらっしゃるのか、既に上位の役職に昇級なさっているのかは知らない。ただ、そのマニアックなアプローチはスタイリングとかインターフェイス周りに散見できるのだが、市場のニーズに一致していたかというと、そうとは思えないな。率直に言うと「山陰地方の空想癖のある田舎高校生が、ガイナックス系のアニメを見ながら、ちょっと自分のセンスを表現してみた。」というレベルだな。
               ☆          ☆
 本カメラの素性は400万画素級撮像素子を搭載し、ライカ判換算で34mmとちょっと広角寄りの光学3倍ズームレンズを組み合わせている。電源は単三型電池2本使用だ。伝統的にエプソンのコンパクトデジカメは単三型電池を採用している。既に報告させていただいたが、エプソン風のスタイリングやインターフェイスデザインは率直にエグイ物だ。なので成功したとは思えない。しかし、本カメラのスタイリングはオーソドックスで常識的な物である。つまんねー自己主張や田舎臭さを廃した取っつきやすいものとしてまとまりが良い。ちょっと禁欲が過剰で、面白みに欠けるところがあるが、エプソンらしい個性は、大抵の場合は良い方に展開しないので無い方がイイだろう。どうも、本カメラはTV通販系の流通に乗ったモノらしい。紹介するコンテンツによって熱度の違いがあるが、「Jネットのたかたさん」がデザインに大きく踏み込んだとは思えない。でも、「Jネットのたかたさん」が「自己主張は限りなく抑えて」と助言なさった可能性はあるな。そもそも、当時からエプソンがハードウェアにしろソフトウェアにしろ、完全自己開発とは思えなかった。当然、生産ラインもプリンターやスキャナーの間に割り込ませるのは不自然だな。どうも京セラ系の生産ラインに乗せた可能性が高い。画像処理も京セラの肝いりの画像処理ソフトのRTUNEを実装しているようだ。そういう意味で言うと、本カメラの2004年にしては良好なレスポンスと絵作りも納得がいくな。どこか、ファインカムSL300Rに通じるものがある。
 本カメラの明確なウィークポイントは起動に時間がかかることだ。電源ボタン押下から撮影可能状態への遷移に7秒前後かかる。レスポンスはもったりした感じだが、レリーズ後のデュレイは感じるが2004年のデジカメにしては速い方だろう。記録から撮影可能状態へと遷移するのに、やや時間を消費するが2004年のデジカメとしては大きな問題ではない。クールピクス4100だって、かなり緩慢なカメラだしな。むしろ、単三型電池2本使用としては、良好なレベルだと思うな。遥かに高年式のパナソニックに酷い代物があるからな。AFは高レベルの精度である。AEも明暗差が極端にあると対応しきれないが、当時の撮像素子のポテンシャルを鑑みると相当スマートなチューニングだと言えるだろう。絵作りは美しいと評価していいと思う。確かに、近代的な視点、或いはフィルム一眼レフカメラのポジかモノクロのクオリティと比較するとエッジングや立体感に乏しいところはあるが、流石に当時のコンパクトデジカメに求めるクオリティとしてはハードルが高すぎだろうな。同年代のパナソニックに比べると、遥かに安定感がある。
               ☆          ☆
 総合的に本カメラは2004年登場のコンパクトデジカメとしてはイイ線を満たしている。単三型電池仕様のデジカメとしては後出の800〜1000万画素級のブツよりも信頼性が高いくらいだ。本カメラがジャパネット系のバーター扱いだったという生い立ちは同情を禁じ得ない。カメラ単体でも良くできたものだ。価格帯が1万円クラスだというコンテンツを散見するのだが、もしかしてプリンターとセットの価格帯なのだろか。それは信じられないけれども、ジャパネット系の生い立ちからすると単体発売の事実を正当化する自信が揺るぐなあ。単体発売したとしても、2004年当時に本カメラが1万円なら安すぎだ。そういう視点からすると、単体発売の方が割に合わない気がするなあ。ファミコンの本体を安値にしてソフトを組み合わせて利ザヤを稼ぐやり口を想像すると。
 エプソン製デジカメの内製率は知らない。しかし、エプソンのデジカメは35万画素級時代から絵作りには定評があった。本カメラもその期待は裏切らない。ただ、エプソンのデジカメはスタイリングにしろインターフェイスにしろ癖があった。その辺がエプソンの自己主張だったのかもしれないが、市場の要求に応えたとは言えないな。
 エプソンのブランドは現在においても健全である。拙僧のスキャナーはGT−X700だし、プリンターはA−620だ。何れもかなり旧いモデルだし、A−620ははっきり言ってエプソンとしては安物だな。それでも全く不便が無いのはエプソンにとって幸いなのか不都合なのか、評価は難しいな。
 少なくてもコンパクトデジカメなどと言うポートモレスビー攻略から手を引いたのは正解だろう。

 では、撮影結果(三河祭り散歩)を見て頂きたい。

(了:2013/8/31)

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