キヤノン IXYデジタル(初代)について


IXYdigital
キヤノンのデジカメ戦争参戦への本格化は本カメラの登場で決定した。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


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 カードサイズと言われても無理のある厚さだ。
 しかし、当時は画期的なコンパクトサイズを実現したカメラなのだ。
 レンズの伸長も控えめ。


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 IXYがAPSフィルムカメラから発したブランドだと覚えている方は少ないだろう。
 光学2倍ズームレンズは物足りないレンジだが、フィルムのAPSカメラとしてデビューした最初のIXYだってそうだった。


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 撮像素子は抑え気味の211万画素級だが、コンセプトで大当たり。
 シンプルが新感覚でクールな時代だった。


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 フラットヘッドがスタイリッシュ。
 ステンレス系金属ボディが映える。


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 世代的に光学ファインダーも実際に使った。
 ボディに不相応な大きめサイズのバッテリーを採用するが、それでも駆動時間は厳しかった。

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 基本的にはオートカメラ。
 操作系も大らかで、頭を悩ませない。

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 記録媒体はコンパクトフラッシュ。


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 同世代のクールピクス880と後輩で廉価機のクールピクス3100を並べてみる。
 ナカタ相手ではクーピースタイルじゃ勝負にならないか。


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 オリンパスと同様、キヤノンもハウジング(防水ケース)に力を入れていた。

 「若さ」や「軽快」、「時代の先取り感」の強いキヤノンだったが、旧世紀から始まったデジカメ戦争には出遅れていた。それまでのムービーデジカメを流用したと思われる本気度の低いやっつけ仕事やOEMから離脱し、人並みに出来たパワーショットA5を投入したのが1998年4月である。同世代のニコンがクールピクス600なのだから、カメラとしての体裁は整えているが、あまり本気で流通させる気があったのかよくわからない。キヤノンの仕事なのでネットリリースの添付画像では「レンズの小さなIXY」に見えなくもない。しかし、実物を目の当たりにすると、その巨大さに驚く。そもそも、IXYはフィルムのAPSカメラとして登場した、当時からして特別にコンパクトなカメラとして知られていたから、脳がギャップについていけないのだ。半年御には当時としては異例のライカ判換算で28〜70mmF2.8〜4の広角系ズームレンズを搭載した、パワーショットA5ズームを投入する。85万画素級の撮像素子に不足を感じるかもしれないが、当時はやっとミドルレンジのデジカメがメガピクセルを超えたあたりだから、取りたてて欠点とは思えない。使ってみると、標準レベルのカメラなのだが、1998年3月には「熱い思いのデジカメ」としてフジフィルムのファインピクス700とニコンのクールピクス900が登場していた。双方とも「フィルムカメラの代用品」として使い物になった初期のデジカメとして、デジカメ史に名を残すマイルストーンだったから、パワーショットA5の効果は限定的だった。しかし、翌年の1999年4月に登場したパワーショットA50で130万画素級の撮像素子の搭載を実現し、同年10月に登場したパワーショットS10で200万画素級の撮像素子の搭載を実現する。そして、世紀末の2000年3月にはとうとう330万画素級の撮像素子を搭載したパワーショットS20を前線に投入した。これはコンシューマ向けカメラとしてはカシオのQV−3000EXと並んで最も初期の物である。どちらが速かったかは、仕向けによって違うとか諸説があって定かではない。しかし、そのパワーショットS20ですら、キヤノンが本気で売る気があったかは怪しいな。キヤノンが本気で戦争に参入したのは本カメラのデビュー戦だった。キヤノンとしても劣勢を挽回するために「IXY」ブランドは温存していたのだろう。本カメラはAPSで一世を風靡したAPS判の「元祖IXY」を髣髴させる、当時としては驚異的にコンパクトなサイズで市場を圧倒した。1999年までフジフィルムやオリンパス、ソニーに比べて明らかに遅れ、シェアは全ての機種を合わせても3%ほどだったらしい。それが、本カメラが登場した2000年には、本カメラだけで11%のシェアを誇った。IXYデジタルというブランドは、その伝説に再び火をつけた。
               ☆          ☆
 撮像素子は211万画素級。そろそろ上位機種は300万画素級に手が届きつつあったが、本カメラの場合はコンセプト重視なので、画質よりスタイリングやサイズに力点を置いたのだろう。レンズはライカ判換算で35〜70mmF2.8〜70の光学2倍ズームレンズを登載。抑え気味だが、やはりコンパクトボディの為に制約があるのだろう。翌年には光学3倍ズームレンズを搭載したIXYデジタル300が登場する。ステンレス系金属外装は上品な物ではないが、武骨で頑丈そうで安心感がある。クールだという見方もあるな。当時はサッカー選手のナカタがブログで撮影した画像を公開した。拙僧は1mも見るつもりは無かったが、当時は性別や幅広い年齢層が認知していたから、効果があった。対するニコンが妙なクレイアニメのクーピー一家では勝負はあったな。
 レスポンスは当時の標準的なレベルである。AFももっさりしていて、レリーズボタンの押下から実際にシャッターが切れるまでも、かなりのデュレイが発生する。一番困るのが感度がISO100で固定なのだ。広角側でF2.8というのは、コンパクトなボディの実現の為なら妥当だが、ちょっと日が陰ったり、アーケード街だと途端にシャッター速度が遅くなって、被写体ブレや手振れが発生してしまう。同じ211万画素級撮像素子でもオリンパスC−2020ZoomあたりはISO400までレンジを確保し、レンズそのものもF2と明るいから、融通の利く戦いが可能だ。もっとも、C−2020Zoomは単三電池4本を使用し、そのクラスとしてコンパクトでまとまったスタイリングだが、本カメラの携帯性には適わない。
 基本的にはオートカメラで、カメラとしてはそこそこの出来を維持できればよいという考えなのだろう。それまで、パンツのヒップポケットに入るデジカメは簡易的な構成の物を除いたら存在しなかったのだから、功績は大きい。
               ☆          ☆
 キヤノンとしては、長いスパンで技術を蓄積し、満を持して本カメラを投入したという訳ではないようだ。直前に登場したパワーショットS20は、サイズ的に当時の標準的なレベルで維持し、どちらかとういと画質に力点を置いていたと思える。しかし、それでは他社と同じだ。フィルムカメラで完全勝利したキヤノンのブランドイメージをデジカメに展開する為には、本カメラのようなインパクトのある戦略打撃機種が必要だったのだろう。しかし、開発は急ピッチで進められたらしく、本カメラはカメラとしての総合力ではライバルのカメラたちに比べてイマイチである。使い勝手も含めたカメラとしての出来はクールピクス775の方が軍配は上がると思うのだが、ホールディングに貢献する「ナイスグリップ」よりは、いけ好かないサッカー選手の若者を市場は選択したのだ。当時、芽生え始めたメディアミクスという広告手法も上手く展開できた。
 しかし、本カメラの成功に至ってもキヤノンのデジカメ戦線への戦力投入は緩慢だった。2002年10月に300万画素級のIXYデジタル320が登場するまで、基本的には211万画素級の本カメラをベースにした改良機でやり過ごしてしまった。もっとも、本カメラの眠い描写の一因と思われる補色系撮像素子は、原色系撮像素子に切り替えている。
 もっとも、単三電池4本を電源として採用した廉価モデルのパワーショットA10パワーショットA20や、高級路線でキヤノンの名に恥じないパワーショットG1パワーショットG2を次々と展開し、戦争に勝てる布陣の構築に成功している。
 急速に戦線を拡大する必要のあったキヤノンとしては、IXYを冠したデジカメの発展など、それほど重要ではなかったのだろう。実際に飛ぶように売れたしな。

 では、撮影結果(名古屋散歩編)を見て頂きたい。

(了:2014/1/3)

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