ミノルタ ディマージュA2について


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コニカミノルタ統合直後の実質的な主力モデル。

☆ジャンク度☆
液晶ビュワー若干シミ
撮影可能


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 スタイリングは2001年に登場したディマージュ7を踏襲する。
 2001年だったら、素晴らしく先進的なものだった。


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 電池室を兼ねたグリップは効果的。
 基本的には合理的で矛盾のないデザインだ。


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 ライカ判換算28〜200mmの光学7倍ズームレンズに手振れ補正機構を組み合わせる。
 ディマージュ7の時代だったら画期的だったのだが。


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 あまり合理化していない操作系が、逆に直感的で高評価。


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 兎に角、ダイヤルとかレバーが多い。全てを把握するのは無意味だ。
 なので、ソビエト時代の巡洋艦とか松本零士メカ風でカッコいいと、単純に思うことにしましょうよ。


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 手動でズーミングが出来るだけでもありがたかったのよ。


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 EVFの出来は、2004年としては大したもの。


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 ディマージュ7時代には単三型電池4本だった電源は、専用電池になった。


 本カメラを数値的な仕様で紹介するのは、あまり意義は無いだろう。あえて簡単に紹介してみよう。登場は2004年の2月。撮像素子は当時としては奢った2/3型の800万画素級。これにライカ判換算28〜200mmF2.8〜3.5の光学7倍ズームレンズを組み合わせる。登載する手振れ補正機構は、パナソニックルミックスDMC−FZ1のような「おもちゃ」ではなく、本格的にリキを入れたらしい。EVFも91万画素級で、何と比べているのかよく分からないけど、当時の標準的なEVF機の4倍のクオリティだそうだ。それで、いくら?コンパクトフラッシュ抜きで実売15万円前後?高けえよ。ひとまず動くけどかなりクタビレたTSR−200ハスラー(あれば)かGB−250クラブマン(どこにでも転がっている)を西八王子の解体屋寸前の店で買った方が遥かに幸せじゃないですか。1カ月くらい保証付きますよ。拙僧の綺麗なKDX−200SRだって17万円くらいでしたよ、乗り出し任意保険抜きで。真面目な話、2003年にはキヤノンがEOSキスデジ(初代)が出して、2004年の3月にはニコンはD70を出しているのだ。どちらも標準ズームレンズキットで実勢価格が15万円くらい。EOSキスデジ(初代)もD70も600万画素級だけど、APS判サイズの撮像素子だし、本カメラが800万画素級だっていったって得した気分は無いっすよね。そんなモンよりも、最近使った85万画素級のパワーショットA50の方が遥かに語れるっすよ。28mm繋がりと言うことで。今回もお付き合いありがとうございました。それでは、サヨウナラ。
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 それで終わってしまったら、寂しいじゃないっすか。だってコニカミノルタっすよ。実質的にコンシューマ光学機器メーカーとしては消滅しちゃったじゃないっすか。コニカもミノルタも我国の光学・感材の黎明期の歴史を飾ったブランドっすよ。少しは語らせてくださいよ。
 本カメラを正当に評価する為には時系列と非一眼レフデジカメのカルチャーを組み合わせて説明する必要があるな。現在の視点で思い返すと、いかに好意的に評価しようと思ってもミノルタのデジカメ戦線への参戦は出遅れていた。しかし、ミノルタのデジカメブランドである「ディマージュ」の歴史は意外と古く、1997年にはディマージュVを投入している。こいつは世辞抜きでポテンシャルは高かった。まだ、35万画素級の撮像素子が常識的だった時代である。同年代のライバルは、デジカメ世界大戦では先行していたカシオはQV−11で、根本的にはデジカメ市場を開拓したジェラ期のQV−10から半歩も進化していない。画像のクオリティからすればディマージュVの敵ではないな。フジフィルムはクリップイットDS−20で、感材メーカーらしく画像の安定度も当時としては高レベルで安定したいた。スタイリングも「フィルムカメラの代用品」として通用するモノだった。でも、単焦点レンズだし、いろいろとスッカラカンなカメラではあったなあ。ソニーのサイバーショットはDSC−F2である。パッケージングとしては面白いが、内蔵メモリ機なのだ。つまり、外部メディアが使用できないので撮影枚数に制限がある。いや、当時の外部メディアはスマートメディアにしろコンパクトフラッシュにしろ、絶望的に高額だったから、それほど深刻な欠点ではなかったのだ。リコーはDC−3で、こいつも内蔵メモリ機だなあ。当時のリコーは、ちょっと不思議な程にデジカメに熱心だった。自分では「イメージ・キャプチャリング・デバイス」とか言っていたが。それも、フィルムカメラ部門との政治的な駆け引きがあったのだろう。スタイリングが「フィルムカメラの代用品」としては奇抜だったが、画像の安定感や操作系のギミックの楽しさからして完成度は高かった。フジフィルムとカシオの中間のクオリティと独自のパッケージングとして高く評価してもイイな。しかし、DC−3も単焦点レンズでAFレスのMFのみ。いや、MFで実用的なマクロ撮影ができるのだって、当時は大したものだったのだ。ソニーのDSC−F2は知らないけど、他のライバルはAFどころか基本的に固定焦点(パンフォーカス)。マクロモードを搭載した物件もあるけど、フォーカシングと言う視点では「写るんです」と根本的には変わらないのだ。1997年のデジカメってそんなものなのだ。ニコンはクールピクス100/300で実験的なモデルだし、キヤノンはパワーショット600N。パワーショット600Nは仕様だけ見ると使えそうな気がするけど、実物を見たら「売る気無いっすね」と分かると思うな。
 そんな時代にディマージュVはズームレンズを搭載していた。しかも手動でズーミングできたのだ。現在の視点だと「んあ?」って感じだけど、電動ではなく手動でズーミングできるデジカメというかコンパクトフィルムカメラだって稀だったのだ。ズームレンズを搭載したデジカメはコダックから1997年の3月にDC120Zoomが出ているんだが、こいつは液晶ビュワーを搭載していないので、撮影画像を確認できない。完全にデジカメのメリットを放棄しているのだが、そういう時代だったのだ。コダックは同年の9月にDC210Zoomを投入するのだが、こいつは液晶ビュワーを搭載し、109万画素級と「メガピクセル」を実現した。レンズもライカ判換算29mmと異例な広角域をカバーする光学ズームレンズを搭載し、当時としては意欲的なモデルだった。拙僧が持っていたのは翌年に登場したDC210AZoomなのだが、何が違うのかよくわからない。多分、インターフェイス周りが日本語化したんじゃないかな。これはこれで、やっぱり固定焦点(パンフォーカス)だし、レスポンスがかなりもっさりして、何かと使い勝手はイマイチだったけど、流石にメガピクセルな絵を描いた。コダックの絵作りは特徴的で、21世紀を跨いで評価の対象となった。話をディマージュVに戻すが、ズームレンズを搭載していただけでも先見の目があったのだが、独自のユニークな発想を組み込んでいた。レンズユニットを切り離すことが出来て、リモート撮影ができたのだ。実際に、そんなリモートユニットを購入して活用なさった方は、世界的にも数える程しかいらっしゃらなかったと思うのだが、従来のフィルムカメラでは考えられないような夢を感じるな。このレンズユニットを切り離すアイデアは、その後のディマージュEXが継承する。リモート撮影は捨ててしまったが、撮像素子を組み合わせたレンズユニットは、標準ズームレンズの他に1999年当時としては極めてまれなライカ判換算28mmF1.9の明るい広角レンズのユニットを用意したらしい。「らしい」というのは、このレンズユニットを実際に観たという方は、拙僧の認識ではグラット大佐殿だけだな。その位稀なのだ。発想としては21世紀のリコーGXRと通じるのだが、リコーのエンジニアはディマージュEXなんて知らないだろうなあ。
 大戦初期から参戦し、ユニークな特性を誇ったディマージュだが、市場には殆ど響かなかった。何故なら、ユニークな特性を帳消しにするほど、致命的な問題があったからだ。ディマージュVならば5Vのスマートメディアしか対応していなかった。スマートメディアの苦しい歴史に触れると話が長くなるので省略するが、当初は5Vで駆動したスマートメディアは、かなり早い段階から3Vに仕様が変更となり、5Vの物件は途絶えた。これは運用面で大きなハンディで、5Vのスマートメディアは拙僧の認識では2MBで絶滅し、生産マスの効果も期待できないから、そうでなくても高額な単価が廉価になる期待は全く無かった。ディマージュVの登場時には、既に5Vのスマートメディアの消滅は確定しており、コスト面が解決してもロクにブツが流通していなかったはずだな。拙僧がディマージュVを確保したのは21世紀だったから、スマートメディアに5Vと3Vがあるのも知らなかった。だから、最初は手持ちのスマートメディアを認識しないから壊れているのかと思ったよ。ディマージュEXもグラフィカルなインターフェイスが目を魅了するのだが、当時のプアなハードウェアに無理目なOSを組み合わせているので、悲しいほどレスポンスが遅かった。もっとも、致命的な問題は仕様の陳腐化やハードウェアの足りなさではなく、ミノルタがデジカメを売ることに全く関心がなかったことだ。使い勝手の物足りなさで言えば、もっとロクでもない物が普通に流通していたのだ。初期のディマージュは全く流通していた形跡がない。ちょっと、確定的な情報ソースを忘れてしまったのだが、社内の政治的な理由でデジカメを展開できなかた形跡がある。これはミノルタの特殊な事情ではなく、コニカも京セラも複数のメーカーが同様な社内的な事情でデジカメ市場に乗り遅れ、或いは全く適応できなかった。パナソニックだってクールショットのような、そこそこ使い物になる物件を製作したにもかかわらず、本格的にデジカメ世界大戦にニーズを確定したモデルの橋頭堡確保は、ルミックス DMC−F7の登場を待たねばならない。デジカメ市場に先行していたメーカーも後塵を拝していたメーカーも、満足に作戦展開が可能になったのは、世紀を跨いだ2001年に至るのだ。
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 2001年6月。ミノルタはディマージュ7を戦場に投入する。これはミノルタにとって実質的に初となる戦略モデルであり、真に勝つことを目的としてデザインしたものであった。ミノルタは同年にディマージュS304やディマージュE203を投入しているが、ミノルタの興廃を賭けた本気モデルはディマージュ7であろう。当時のデジカメ市場のコアモデルは200〜300万画素級だったが、そろそろ高位モデルに400万画素級の呼び声が掛かる頃である。また、普通に綺麗に撮れるだけでは商品力が至らず、デジカメならではの特性が戦争を左右する時期になった。多少、時系列は前後するのだが、画素数とパワースキルで言えばキヤノンは9月にパワーショットG2を投入し、やや遅れがちだったニコンは12月にクールピクス5000を投入し、劣勢だったフィールドの挽回を図った。デジカメならではの特性で言えば、オリンパスが廉価でコンパクトサイズのボディに光学10倍ズームレンズを組わせたキャメディアC−700UZで新しいジャンルを開拓している。
 それらのパワーモデルや新市場開拓モデルと比べても、ディマージュ7は全く遜色がないパワーを持ち合わせていた。撮像素子は後発のパワーショットG2の400万画素級の撮像素子を上回る堂々の500万画素級。レンズは当時は貴重なライカ判換算で28mmの広角をカバーする28〜200mmF2.8〜3.5の光学7倍ズームレンズを搭載した。後発のクールピクス5000が28mmを実現したが、レンジは28〜85mmと常識的な標準レンズである。なによりも、そのスタイリングがキレていた。「松本零士が情緒的なイメージで大体に描いた宇宙戦艦を”スタジオぬえ”が、ちゃんと航行して戦争が出来るように丁寧に線で書き直した」ようなSFチックなスタイリングはカッコよさで圧倒していた。所狭しとダイヤルやレバーを設けたのは、冷静に操作すると決して合理的ではなかったのだが、「露出はプッシュボタンではなく、ダイヤルで決めないと性的欲求を解消できない」というフィルム時代のオールドタイマーにも、地球の重力圏を忘れさせる魅力があったのだ。実際に使ってみると「合わないことはないのだが、デリケートなAF」や「単三型電池で確保した持続力の不足」が前線で囁かれるのだが、何しろ使い物になるデジタル一眼レフカメラを買おうとすると、平気で50万円位の出費を覚悟しなければならなかった時代なのだ。実売15万円で、ポートレイトもネイチャーもそこそこ運用なるのだから、百難を隠した。Bf110だって、相手がポテやグラディエーターのロートルモデルなら充分な脅威となり、航続距離も充分だし効果的な爆撃も可能だ。実は極東では航続距離が2000kmを超える零戦が猛威を振るうのだが、当時は太平洋と大西洋ではドラゴンクエストとファイナルファンダジーくらい世界が違ったのだ(多分)。
 ディマージュ7のポテンシャルとパッケージングのセンスは期待した戦略的な地位を確保したと評価していいだろう。なにかと問題視された使い勝手も、ディマージュ7i−>ディマージュ7Hiと精錬し、打撃力と共に信頼性を向上していった。そして基本的なパッケージングを踏襲しながら2003年には採番を改め、ディマージュA1が登場する。これは、金型は一新したと思うのだが、スタイリングはディマージュ7シリーズとそれほど変わらない。撮像素子は500万画素級のままだが、明確な違いは手振れ補正機構を搭載したのだ。これは、パナソニックのルミックスDMC−FZ1のような「ひとまず積んでみました」というような飾りではなく、真に効果を発揮するリッチな物だった。手ブレ補正機構の恩赦はガジェット好きが語る程、分かりやすいものではない。パナソニックもDMC−FZ1のような手振れ補正機構だけで画質面は手を抜いた「おもちゃ」では市場は納得せず、新世紀の鮮烈な戦場では効果的な打撃力と防御力を兼ね備える必要を感じ、ルミックスDMC−FZ10を早急に投入している。ルミックスDMC−FZ1の「手抜き具合」からは想像できない程、DMC−FZ10の完成度は高い。時間的な余裕は全くなかったと思うのだが、実現してしまうのがパナソニックの実力だな。ディマージュA1の500万画素級では流石に効果は限定的とミノルタも感じたのか、半年後の2004年2月に本カメラが登場する。撮像素子は800万画素級で当時としては大したものだった。なにせ、「実際に買うことが可能なデジタル一眼レフカメラ」であるキヤノンEOSキスデジ(初代)やニコンD70だって、600万画素級だったんだからな。そう、問題は本カメラの登場時、多少時間軸は前後するが「実際に買うことが可能なデジタル一眼レフカメラ」が登場したいたのだ。しかも、それらのレンズキットの価格帯は、本カメラと拮抗していた。
 ディマージュ7が登場した2001年であれば「デジタル一眼レフカメラは人生捨てる覚悟でないと買えないから、レンズのパワーがかなり頑張った非一眼レフデジカメの最上位モデルか万能レンズを搭載したEVF機でいいや」というニーズは確実に存在した。しかし、2004年だと、「憧れのデジタル一眼レフカメラ」が何とか買える範疇に捕えることが可能となったのだ。数値的な仕様なら本カメラも初期のデジタル一眼レフカメラのレンズキットに比べて魅力がある。撮像素子の画素数は多いし、レンズだって光学7倍ズームレンズである。しかも、コンパクトで軽い。EOSキスデジ(初代)もD70も、レンズキットで付属するのは標準域のズームレンズだ。しかし、その気になればタムロンかシグマの300mmをカバーするズームレンズが中古で3000円くらいだしな。新品でも1万円台だったろう。確かに、携帯を想像すればかなり嵩張るから、レンズ一体型で高倍率のズームレンズを搭載した本カメラのようなジャンルも成立するように思える。実際、ニコンもキヤノンもソニーもオリンパスも似たようなジャンルのモデルを展開していた。でもねえ、実際のところ15万円以上ぶっこむのよ。例えばソニーのサイバーショットDSC−F828という伝説的なモデルがある。仕様的には凄いっすよ。レンズはライカ判換算で28〜200mmF2〜2.8っすよ。拙僧のいつものタイプミスじゃなくて、本当に広角側で28mmF2の光学7倍ズームレンズなんすよ。興味のある方はネット検索をしていただきたいんですが、見てくれも本物のギャラクシー級スペースシップっすよ。完全にメーカー純正オプション全部乗せのNSXじゃないっすか。いや、別にNSXがダメだって言っているんじゃないっすよ。多分、当時ならフェラーリが買えるくらいの見積もりっすよね。じゃ、フェラーリ買ったらいいじゃないっすか。いや、メンテナンス費用が全く違うって言うのはそうかもしれないけど、それは中古でNSXを買う方の発想っすよね。いや、拙僧はNSXじゃ体感的に理解できないからNR750にしましょうか。例の楕円ピストンでV8相当って奴ですよ。あんな代物で本気で峠を攻めるのは「千葉軍団」の方だけじゃないっすか。
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 ちょっと、熱を冷静にさせていただきたい。拙僧も「女子との接点を排除するなら」と想定してファインピクスS2プロとか立川のビックカメラで弄ったことがあるのだ。勿論、「女子との接点を排除する」などという選択肢は在りえなかったのだが。とにかく、その時の弄った印象からすると、デジ一眼レフカメラのメリットはレスポンスに限るのだ。例え、素晴らしいレスポンスのEVFを搭載していたとしても、光学ファインダーには敵わない。それに光学ファインダーに映し出される美しい風景だな。情緒的なモチベーションである。当時はライブビューなんて子供だましはデジタル一眼レフカメラには無かった。撮影結果の美しさから言えば、別に本カメラだってサイバーショットDSC−F828だってクールピクス8700だって、劣るとは思わない。撮像素子の面積からして、被写界深度の狭さを発揮できないではないかという方もいらっしゃるかもしれない。しかし、2004年であれば、撮影カット数が月当たり360カット以下ならフィルムカメラでいいじゃないだろうか。確かに年単位のランニングコストを考えたらデジタル一眼レフカメラの方がコスト安かもしれない。でも、2004年の当時を思い出していただきたい。600万画素級の撮像素子で撮影した画像を6つ切りにプリントしたのと、ポジでもネガでもいいのだがフィルムで撮影してプリントしたのと比べれば、クオリティ的にはどっちが満足だっただろうか。2004年ならポジフィルムもネガフィルムも充分な選択肢があったはずだ。ラボも熱心に焼いてくれたはず。確かに、実際に使ってみるとデジタル一眼レフカメラっていうのはフィルムの撮影枚数制限を忘れるから、カット数は稼げる。それで生まれる写真表現もあるかもしれないな。でも、2004年の512MBのコンパクトフラッシュって、いくらだったか覚えているだろうか?ネオパンFに換算したら、本当にコスト安だったろうか?今なら3400万画素級のデジタル一眼で膨大に撮影した画像を圧縮してSNSのつぶやきにアップロードするのも価値観としては成立するかもしれないけど。2004年の話ですわ。
 少しくどくなったけど、デジタル一眼レフカメラを購入する動機はレスポンスと光学ファインダーの情緒的な美しさにある。現在においても、ミラーレス一眼から撮影趣味に入って、どうも納得がいかないというカメラ女子の話を聞くと、例の液晶ビュワーを眺めて両手を伸ばした「デジカメ流の撮影スタイル」が不満足らしい。それで、ホットシューに付けるEVFファインダーとか光学ファインダーとか買ってみるのだが、やっぱりミラーのある一眼レフカメラへの憧れは解消できないようだ。勿論、写り具合が変わるとは彼女も彼も1mmも思っていない。だって、被写体はカフェラテアートとかフルーツの盛り合わせっすよ。しかも、薄暗い喫茶店。連中は環境光なんて微塵も興味ないっすからね。拙僧も「どうしてもブレる」っていうんで、カメラを取り上げて、単純にISO1600に設定して返しますよ。それで率直に喜んでいますよ。いいんじゃないですか、写真の楽しさなんてそんなもんで。
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 ディマージュ7で市場に対して圧倒的な打撃力を展開したミノルタだが、どうにも市場のニーズとはちぐはぐだったと思える。同様に、デジカメインフラを軽視して苦しい展開をしていたコニカと2003年に合併し、コニカミノルタとなった。コニカミノルタとして、初めて戦場に送り込んだのはディマージュG400である。これは当時の400万画素級のコンパクトデジカメとしては素性の善いものだったが、不利なフィールドを根本的に立て直すは重すぎる任務だった。審議は確定できないのだが、ディマージュG400はコニカのKD−410Z/510Zをファインチェーンしてスリム化した物に過ぎないからな。厳しい目で見ると、コニカミノルタブランドを形成し、市場の劣勢を挽回する戦略モデルがディマージュ7の延長上である本カメラだったというのは、ちょっと認識が甘かったな。本カメラのパワーがまるで足りないとは思わないのだが、同じ価格帯でEOSキスデジ(初代)やD70が買えるのだ。既に戦場はSu−2やフェアリーバトルが全く歯が立たない程に過酷になっていたのだ。
 その後にαスイートデジを投入するも敗戦への道のりは挽回できなかった。ちなみに、本カメラのバッテリーであるNP−400は、コニカミノルタ時代のαデジからソニー時代のα100辺りまで流用できる。拙僧はモデル撮影会でαスイートデジを装備しながらも、バッテリーエンプティで頓挫したカメラ女子に貸して差し上げたこともある。NP−400も決してほめた代物ではない。バッテリーそのものはコニカミノルタが主導的に設計を行ったものではないだろうし、実際のところ、拙僧も純正モノを使っていたのではないのだ。しかし、純正モノがダメな場合、互換モノも大抵の場合はダメだな。
 コニカミノルタの組織的な混乱ブリも想像できるのだが、外れのバッテリーを掴んでしまうあたり、既に幸運の女神からは見放されていたのであろう。美の女神とかドイツ製光学機器の「ああ女神様」なんていうのは全くあてにならないのだが、市場のニーズを伝達する天使あたりは確保するべきだったな。


 では、撮影結果(ファミリー高原モデル撮影会編)を見て頂きたい。

(了:2013/9/7)

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