ミノルタ ディマージュ7iについて


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デジカメ後発のミノルタ旗艦モデル。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


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 デジカメ時代のミノルタの高級レンズブランド、GTを関する。
 気合の28mmから始まる光学7倍ズームは時代的には大したもの。


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 当時、大きなアドバンテージだった、手動で伸長するズームレンズ。
 これが電動(モーター)だったら、かったるくて使い物にならない。


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 フラッシュは勝手に光ったりしないスマートな仕様。
 効果的なグリップ。


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 背面の液晶ビュワーの他、バリアングルEVFを登載。


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 モノクロ液晶パネルを装備しているのが時代を感じる。
 アイコンの表示がαの先見性を感じる。


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 あちこちにリングやボタンがあって操作系は複雑。
 その辺がソビエト製艦船に通じるものがあってカッコいい。


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 記録メディアはコンパクトフラッシュ。
 電源は単三型電池4本。
 あまり燃費は良くない。



 ミノルタはデジカメ戦争では完全に後塵を拝していた。デビュー戦は1997年のディマージュVであり、これはユニークな基軸を持ったそれなりの秀作だった。しかし、困ったことに既に終息に向かっていた5V規格のスマートメディアを採用していた。そろそろ、オリンパスから85万画素級のC−820L(D−320L)が登場する頃だから、これはいかにも遅い設計だった。その後もミノルタは市場に有効な橋頭堡を構築できないママ、旧世紀を終えようとしていた。2000年にもなるとデジカメ市場は廉価機から高級機まで幅広いジャンルで構成されていた。400万画素撮像素子のデジカメが登場し始めていたし、キヤノンからは「すべてを投げ捨てれば買えないこともない夢の一眼レフデジカメ」であるEOS D30が登場する。このままではミノルタが単独ブランドでは存続できなくなってしまうのでは。そんな焦りは現場サイドでも経営サイドでもあっただろう。実際、そうなっちゃうんだけど。
 そんな事情のママで新世紀を迎えてしまうのだが、そこで真打となる本カメラ「ディマージュ7」が2001年6月に登場する。これはミノルタ初のフラッグシップモデルであり、高級機としてふさわしいモノだった(ディマージュRD3000という業務用の幻の一眼レフデジカメは存在する)。本カメラは「ディマージュ7」の改良機として2002年4月に登場した「ディマージュ7i」だが、主な特徴は同様である。特に注目されたのがスタイリングとレンズである。まず、スタイリングはグリップとレンズユニットで構成したL型スタイルである。これが、エッジが効いていてカッコいい。普段はスタートレックで形容する拙僧だが、これはスターウォーズだな。上から見るとレンズユニットが本体+グリップを貫通しているように見えて、完全に直進型宇宙艦である。撮影モードや露出補正モード、EVFの切り替えなど、ダイヤル・レバーなどがあちこちに独立して設置している。まるで「装備する火器は全てむき出しで装備するソビエト海軍艦船」のようだが、それらの節度やタッチング、作りつけが良い。それぞれの操作を階層メニューに頼らなくても済むために、実戦でも迅速な対応が可能である。本カメラのポリシーはフィルムカメラも含めてカメラの操作をある程度マスターした層にフィットするものだったから、直管的に分かりやすい操作系は歓迎された。
 次にレンズだが、当時としては極めて珍しいライカ判換算で28mmから始まる広角系光学7倍ズームレンズを搭載していた。2001年12月に28〜85mmのクールピクス5000が登場するが、旧世紀に30mm以下の焦点距離を持ったデジカメはコダックのDC280Jなどほんのわずかだったのだ。なので、本カメラの28〜200mmF2.8〜3.5といった広角系高倍率ズームレンズはコンシューマユースのデジカメでは初なんじゃないかと思う。素晴らしいのはズーミングが手動(マニアル)だったのだ。これは電動ズームが当たり前で、不満をを持っていたフィルムカメラ層には福音であり、操作性を大いに向上させた。これにEVF(電子ビューファインダー)を組みあわせて、一種のレンズ一体型一眼レフに近い運用が可能であった。前述したが、そろそろコンシューマ向け一眼レフデジカメも登場していたが、価格は実際に使い物になるようにアクセサリーを揃えると、ちょっとした軽自動車(例:中古の綺麗なホンダビート)くらいしたからおいそれと買える代物ではなかった。本カメラも、コンパクトフラッシュや実用となる充電式単三型電池を確保すると実売ベースで15万円+αくらいしたが、まだ趣味で帰る範疇だろう。これに当時は稀な500万画素級撮像素子だったから、ほぼ無敵と言えるスペックだった。
 当時のライバルはオリンパスのE−20、キヤノンのパワーショットG2パワーショットプロ90IS、フジフィルムのファインピクス6900Zとされていた。E−20は本カメラとはクラスが違う。撮像素子こそ400万画素級だったが、ミラーを搭載した本格的一眼レフで(ミラーは稼働せずハーフミラー型である)、レンズもボディも大きく価格も10万円くらい高かった。本カメラが駆逐艦なら巡洋艦って感じかな。パワーショットG2は描写力については申し分の無いハイレベルなカメラだった。実際、当時のポートレイトアマチュアはEOSのアクセサリーが使えるということで、パワーショットG2を選択したケースが少なくなかった。しかし、実際にはEOSのアクセサリーを使うのは制約が多かったりして実用性は低かったらしい。レンズの焦点距離は34〜102mmF2〜2.5と描写力は素晴らしくてもレンジは平凡だったと言わざるを得ない。パワーショットプロ90ISは手ブレ補正機構付き高倍率ズームが売りのカメラで、描写力は本カメラの敵ではない。ファインピクスは300画素級ながら素晴らしい描写で評価に値する。色々とマニアルによる設定にもこだわっていたが、手動ズームを採用するほど思い切ったモデルではなく、焦点距離も35〜210mmだから、広角のアドバンテージは明らかに本カメラに有った。本カメラはミノルタの初ともいえるデジカメのフラッグシップとしてはふさわしく、フィルム時代のミノルタファンに安心と感動を与えるに十分だった。
                ☆                 ☆
 実際に手に取ってみると見た目よりも小型で軽い。勿論、一般的な単三電池4本使用型コンパクトデジカメに比べると大きいが、パワーショットG2やクールピクス995などの当時のフラッグシップ級のライバル達に比べて大柄ではない。むしろ、操作をする上では都合の良い大きさだと言える。この種のL字型カメラはグリップ部に電池を収納することが多いが、本カメラはレンズユニット下部に収納する。これで重心がレンズユニットに寄るので、手ブレを抑えることができる。なかなか、冴えたデザインである。グリップ部には記録メディアであるコンパクトフラッシュを格納する。重心がレンズユニットに寄っているので右片手で操作するのは難しいが、本カメラは左側にも操作系が集中しているので、両手で構えるのが自然だろう。特に手動のズーミングリングの操作は左手が必須となる。本カメラの魅力は28mmから始まる光学7倍ズームと手動ズーミングリングがキモとなるから重要だ。
 ライバル不在の28〜200mmの広角寄り望遠レンズはAFさえ決まれば絶大な打撃力である。500万画素級撮像素子と組み合わせて良好な画像の撮影が可能だ。EVFと背面の液晶ビュワーはレバーで切り替えることもできるが、自動モードにするとファインダーを覗いただけで自動的にEVFに切り替わる。これなど、アイスタートのパイオニアであるミノルタの技術を感じて心地よいモノである。EVFの見え具合はそれなりで、多少粗いが酔っぱらってしまう程ではない。無論、近代のEVFと比べようもないが、11万画素が普通だった当時に22万画素のEVFを搭載し、良好である。MFモードでは電子マグニファイヤ機能で中央が拡大してフォーカスをアシストする。こういうのは風景や静物を撮影する方には便利であろう。拙僧は基本的にスナッパーなので、あまり使わない機能である。しかし、EVFによる撮影は一眼レフを思い出すところがあって、身がしまりイイ感じだ。
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 向かうところ敵なしのような「ディマージュ7」だが、伝説的に語られているのがAFのパワー不足と電池消耗の弱さである。本カメラも改良はされているものの、基本的な特徴は継承している。
 2002年のカメラだから、速く動くものが撮影できないのはある程度仕方がないだろう。しかし、広角側でも緩慢にフォーカシングする場合があり、スナップ撮影では効果が限定的になる。望遠側でもちょいちょい惜しくて、メインの被写体が中央なのに背景に合ってしまうことが多い。はだか祭りではかなりフォーカスに迷ったのだが、あまり凹凸の無い男性の裸体だとコントラストがハッキリしなくて合い辛いのかもしれない。そういう場合にコントラストがハッキリとした背景に合焦してしまうのだろう。顔認識でスマイルシャッターの時代ではないので、割り切る必要がある。一方で、あまり動きの無い動物園の動物だとしっかりと合焦する。やはり動くものが苦手なのだろう。AFの遅さについては「ディマージュ7」で酷く問題になり、本カメラでは改良されているそうだ。それでも、やや遅い。もしかしたらAFの歩留まりが悪いのは、拙僧が合焦を待たずにレリーズしてしまうのかもしれないな。ただ、遅いと言ってもライバル達に比べて欠点とまでは言えない。本カメラはバッファリングが適切でAFの遅さに慣れてしまえばリズム良く撮影できる。他社製のライバルでAFが遅く、バッファリングがプアで撮影を待たされるカメラはいくらでもある。
 電池消耗の弱さについては、当時のオーナーは相当苦労したようだ。まだまだ、電池のメモリー効果に気を使わなければならなかった時代である。プアな電池に対し、簡単に電池消耗の弱さを露呈する。現在ではエネループのようなパワーの持続する電池があるので、それほど神経質にならなくても良い。
 AEについては難しい条件下でも巧みな処理をする。ちょっとダイナミクスレンジがプアなので簡単に白とびをするのだが、肝心の被写体を崩さないように絶妙な露出値を弾く。これに対しては不満はないのだが、もう少しダイナミクスレンジも粘ってくれれば嬉しい。もっとも、本カメラはマニアル操作に特化したカメラであり、その辺りを補正して使うのが正道なのかもしれないな。AFも相手が動きものでなければ遅くても精度は悪くないし、硬派なネイチャー系の方に向いたカメラである。スナップだと危険を背負いながら停止射撃をしなければならない。
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 ほぼパーフェクトな素性を持ちながらAFユニットの詰めの甘さが惜しい。確かに、時代的に動くモノをデジカメでは撮影できない時代だったが、なにしろ、定価ベースで15500円のカメラなのだ。当時の方としては「ちょっと残念だなあ」では済まないだろう。コンパクトフラッシュだって128MBのものが8000〜9000円もしたのだ。それでも、EOS D30のボディのみの定価が35800円だったから、手の届く代物だったのである。
 AFについては同じ500万画素級の28mm級ズームレンズを搭載するクールピクス5000も評判が芳しくない。初期の500万画素級撮像素子と広角系ズームレンズとAFユニットの相性が良くなかったのだろうか。撮像素子は自社製ってことは無いから同じものかもしれないけど、AFユニットは自社製だと思うのだが。なお、久しぶりにクールピクス5700を出したら、本カメラよりも遥かにレスポンスは緩慢だった。
 勿論、合焦したカットの描写力はミノルタのフラッグシップに相応しい。


 では、撮影結果(尾張はだか祭り編) をご覧頂きたい。

(了:2015/3/13)

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