ソニー サイバーショット DSC−U10について


DSC-U10

☆ジャンク度☆
無し(?)
撮影可能


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 ライカ判換算で33mmF2.8と明るい単焦点レンズ。
 明るさが稼げるのは撮像素子の面積が小さいのでイメージサークルが小さくて構わないからだろうな。
 小さな液晶ビュワーがキュート。

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 スライドスイッチを兼ねたレンズカバー。

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 最低限のインターネットで十分なパフォーマンス。


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 デジタルマビカMVC−FD5の複雑な操作系は何だったのだろう。

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 電源は単四型電池2本。
 記録媒体はスタンダードタイプのメモリースティック。

 本カメラの登場は2002年7月である。当時としても130万画素級という撮像素子はパワー不足に思えたが、本カメラには圧倒的なメリットがあった。小さいのである。当時のソニーのスタンダードモデルはサイバーショット DSC−P2だったが、体積でいえば本カメラのサイズは半分である。ついでに値段も半分だった。何かと不足しているカメラだったが、樹脂製ボディのスタイリングが絶妙にポップで「かわいい」カメラだった。ソニーのデザイナーの冴えが光る。実際に「かわいい」モノ好きの女子が買ったかは怪しいが、「かわいい女子のようなもの」が好きなガジェット好き男子は飛びついたようだ。本カメラはデジカメのエッセンスの一部を凝縮した特徴的なカメラだったが、デジカメ史において突然変異で現れたのではない。そのあたりをちょっと掘り下げてみよう。
                     ☆                 ☆
 旧世紀のデジカメは薄らデカくて気の利かない100円ショップのソープケースのようなデザインだった。冷静に考えると常識的なフィルムコンパクトカメラよりもサイズ的には小さかったのだが、何しろ高価だった。ボディも高かったがPCへの画像転送キットが別売りだったり、記録メディアが異様に高かったりした。現在のように8GBのSDカードが1000円を切るような時代ではない。64MBのコンパクトフラッシュの価格が定価ベースで0が一桁多かった。なので求めるハードルが高くなったのは致し方ない。世紀末になるとキヤノンのIXYデジタル(初代)が登場する。デジカメは一気にスタイリッシュになったが、それでも画質的には、ひいき目に見てもフィルムカメラの代用品としては、プリントサイズは2L判がせいぜいだった。無論、デジタル画像にはPC間で転送できる従来にない価値があった。しかし、当時のネット通信のレートはプアで200〜300万画素級の画像が必ずしもメリットになるとは限らなかった。ぼちぼち、HPを作って自分発信を趣味とする方々がネットコミュニティに形成しつつあったが、そのネットスペースの容量も限定的だった。なのでサイズの大きな画像が必ずしもポジティブだとは限らなかったのである。新世紀初頭にはソニーのサイバーショットDSC−F707やニコンのクールピクス5000といった次世代の500万画素級デジカメも登場していたが、実売で12〜15万円くらいしたから「写るんです」で芽生えた初期の「カメラ女子」のニーズにはまるでフィットしなかったのだった。
 一方で旧世紀末あたりで市場を形成したのがトイデジカメというジャンルだった。具体的にはニチメンのChe−ez!とかマクセルのWS30である。撮像素子は35万画素級だし液晶ビュワーは無いし、内蔵メモリ機だし、一部のモデルを除いては内蔵メモリが揮発性で電池を抜くと撮影した画像が一瞬で消えてしまったが、小さく軽く、何よりも安かった。大抵のモデルはコンビニの乾電池で十分に動いたし、コンプライアンスがうるさくなかった当時のビジネスシーンに紛れ込ませるには十分なサイズとクオリティの画像だったのだ。やがてトイデジカメはChe−ez! moni−meのように液晶ビュワーを搭載し、普通のデジカメに肉薄するようになった。それでいて価格は1〜1.5万円程度で本気デジカメの1/3〜1/5程度だったから、画像転送の出来るプリクラやXIAO(シャオ)を求めていたフレッシュな層に大いにヒットした。これは画質至上の伝統的光学機器メーカーにとっては戸惑う事態だったが、そもそもデジカメというのはパチモノを起源としており、伝説的なデジカメのパイオニアであるカシオのQV−10だって、あっさり画質を捨てたことに勝因があった。当初はトイデジカメなどをせせら笑っていた伝統的な光学機器メーカーだったが、やがて無視できない市場をトイデジカメは形成した。コニカなどはデジカメ大戦で出遅れていたから、このジャンルで挽回を狙ったふしもある。e−miniDがそうだ。カシオも出だしのダッシュに限りが見え始めていたからLV−20を出した。しかし、これらは自社で真剣に作ったというよりは台湾や香港のOEMらしく、北米ではビビターブランドで発売していた形跡がある。
 流石に伝統的な光学機器メーカーはニチメンやNHJのような正真正銘の「トイデジカメ」に手を出すには抵抗があったようだ。そこで価格帯は2万円くらいにして、小型軽量で乾電池で実用的に動作し、別売りの付属品無しで完成するワンパッケージの簡素デジカメを本気で作るようになった。大抵の場合は固定焦点で単三電池型仕様。クオリティは限定的ながら液晶ビュワーを装備し記録媒体は交換式とした。典型的なのはフジフィルムのファインピクスA101201である。これは被写体が暗いとシャッター速度が異様に遅くなってぶれてしまうが、晴天下であれば綺麗な画像を安定的に供給する快傑児だった。コニカのRevioC2は内蔵メモリ機だったが当時としては抜群に薄いボディを実現していた。少しクラスが下がるが日立リビングサプライのi.mega HDC−1もいい線をいっていたな。これらに共通するのは単焦点レンズでマクロモード付き固定焦点(パンフォーカス)だった。撮像素子のサイズが小さく、実際のレンズの焦点距離が9mm以下の短いレンズだったから固定焦点でも十分だった。当時のデジカメといえばレリーズボタンを押下してからのデュレイは相当なもので、いっそのこと固定焦点でいいからサクサク撮れた方がありがたいとも言えた。しかし、液晶ビュワーのクオリティはそれなりだからマクロモードのフォーカスを満足に確認できるレベルではなかった。新世紀になっても単三型電池仕様の固定焦点廉価機の市場は健全だった。そして2002年6月、ニッチな市場への飛び道具を画策していたカシオから画期的なスリムデジカメのエクシリム EX−S1が登場する。これは専用リチウムでマクロモードすら持たない固定焦点だったが、革命的にスリムなボディだった。表面積はほぼ名刺サイズで厚さ(薄さ)は単四電池にも満たない。本当にYシャツのポケットに入れていても違和感がない「着るカメラ(ウェアラブルカメラ)」だった。しかも、高レスポンスで記録メディアはSDカード。金属製ボディがクールということもあり、俄然ガジェット好きの注目の的になった。トイカメラでもなく、廉価カメラでもないクールカメラとでも言うジャンルが発生したのだ。
 本カメラの登場はエクシリムEX−S1の翌月である。様々な意味を含めて本カメラはエクシリムEX−S1とは対照的であった。カードを基調としたエクシリムEX−S1に対し、本カメラは厚みのあるコロッとしたボディだった。しかし、極めてコンパクトで大きさ的には100円ショップで売っている使い捨てライターを4個ほど積み上げたほどでしかない。電源は単四型電池を2本使用しエクシリムEX−S1ではむき出しだったレンズにスライドスイッチを兼ねたレンズカバーを配置した。そして、ここが決定的に違うのだが本カメラはAFユニットを搭載していた。しかも、当時としては稀なシームレスのマクロ撮影が可能で、最短10cmまで寄れた。これは標準的なデジカメに比べてもそん色のないパフォーマンスだった。エクシリムEX−S1がカードサイズに拘ったのに対し、恐らくソニーはミノックスを目指したと思われる。エクシリムEX−S1が伝統的なカメラの体系から逸脱したのに対し、本カメラは伝統的なカメラの体系をそのままにグッと小型化したのだ。エクシリムEX−S1が金属製ボディシェルだったのに対し、本カメラは樹脂製ボディをポップに仕上げていた。ただし、記録メディアはスタンダードサイズのメモリースティック。いずれのカメラも撮像素子は130万画素級だから大した問題ではなかったが、そろそろ500万画素級のデジカメが登場していたから、128MBが上限のメモリースティックの前途の厳しさが顕著化しはじめた頃だ。
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 本カメラの仕様にフォーカスを当ててみよう。撮像素子は130万画素級。サイズは1/2.7型で当時としては標準的である。レンズはライカ判換算で33mmF2.8と広角寄りで明るい。当時の標準的なデジカメのズームレンズの広角側が35mmを切ることは稀だったから、これは福音となった。ボディの小ささは既述の通りだが、高レスポンスだったのに注目したい。スライドスイッチを兼ねたレンズカバーを開くと1秒少々で撮影可能状態になり、レリーズボタンを押下してから画像を記録し、再度撮影可能状態に遷移するまで2秒ほどしかかからなかった。これは当時のデジカメとしては非常に冴えたものである。動くものはデジカメでは撮れないと言われていた時代だった。液晶ビュワーは小さく1型。つまりニコンの1シリーズの撮像素子と同じサイズということになる。フォーカスのチェックは不可能で、色彩バランスも不正確なのだが構図を確認するのには十分である。むしろ、この小さいフォーマットでサクッと構図を確認し、次の被写体に向かうのは快感だ。インターフェイスはボディ上部に「再生・スチル撮影・ムービー撮影」のスライドスイッチ、レリーズボタン、電源スイッチを配置する。スライドスイッチを閉じた状態で電源スイッチを押下すると再生モードで起動する。ボディ背面には液晶ビュワーの他に上下レバーと左右ボタンのみ。階層メニューがシンプルなので、これだけの入力デバイスだけで十分だ。その代りメニューも絞っていて、きめ細かな設定はできない。例えば画像サイズは130万画素級と35万画素級の2段のみで圧縮率は設定できない。しかし、本カメラをポケットに忍ばせて、パチパチ撮る用途としては十分である。むしろプッシュ式十字キーをメインとした従来型のサイバーショットの方が、拙僧には好まないな。拙僧はフラッシュ発行禁止ができて、それを維持してくれるだけで沢山だ。
 肝心の画質はそれなりである。この種のカメラとしては珍しくAFユニットを搭載しているが、被写界深度が深いのでそれ程意義を感じない。しかし、マクロ撮影がシームレスに可能なのは同クラスの他社製品にない強い特徴で、現在のスイーツフォトが事実上可能な数少ないカメラである。
 まだデジカメが新しいアイテムだった時代なので本カメラを取り上げたガジェット好きのコンテンツは多い。それによると抑え気味の発色が好感触だと書いてあるのだが、ハッキリ言ってもっさりとした発色で立体感もなく、諧調の美しさとは無縁である。どうも画像の圧縮率が高いのではと思うのだが、ハイライトにグロスが入っていたりして意図的に個性的な画像を描くようなチューニングをしているように思える。もしかしたらレンズがプアで画像処理で誤魔化しているのかもしれないな。但し、AFユニットを搭載しながら固定焦点機並みのレスポンスを維持しているのだから、欠点は相殺しても良い。本カメラもまた、トイデジカメとは一線を画し、簡素カメラの範疇に収まらないカメラなのだろう。ニーズとユーザーを選ぶカメラだ。
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 不明瞭な情報なのだが、ソニーのニミマムサイズのPCにもUシリーズがあったそうだ。ソニーとしてはUブランドの展開にそれなりの期待を込めていたのだろう。実際、Uシリーズは本カメラの登場の半年後には200万画素級のサイバーショットDSC−U20が登場し、更に液晶ビュワーのクオリティを向上したサイバーショットU30が登場する。その後、回転レンズ(スイバルスタイル)や防水のタフネスカメラなどにUシリーズは展開するのだが、その活躍は割と短かった。理由は携帯電話がカメラを搭載し、それが瞬く間に実用的な代物になったのだ。トイデジカメはそのプアな素性から画像が歪んでしまうAVOXのようなキワモノとして暫く続くのだが、ソニーのような一流メーカーが扱うような代物ではない。それでソニーがカメラに対して興味を失ってしまったかというと全くそうではなく、初めてPCがカメラを内蔵したのはVAIOだった。その後のソニーのカメラは立ち位置が不確かになったりしたが、今ではRXシリーズやαシリーズで確固たる地位を維持している。海外で見かけるハイソな連中が持っているのは必ずソニーのデジカメだ。韓国人だってサムソンなんか使わない。他の分野は知らないけど、カメラの分野では一流を保ってほしいものである。拙僧にとってはヒールの立ち位置なのだが。


 では、撮影結果(三河桜祭り編)を見て頂きたい。

(了:2016/4/11)

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