ソニー サイバーショット DSC−S70について


DSC-S70

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


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 「バリオゾナー」がソニー信仰者を虜にしたようだ。
 ブランドはドイツ製が最高だが、実際に作っているのは日本製なのが嬉しいのが本音か。

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 旧世紀のカメラ人が望んだ光学ファインダー。
 本カメラのバッテリーはタフ(当時)だが、気分としては重要なのだ。

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 ケバケバしい宣伝ステッカー。
 まだまだデジカメが商品として自信がなかったのか、若気で大口を吹きたかったのだろう。

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 充分なグリップ。
 ソニーとしては常識的なカメラとしてのスタイリングを目指したのだ。

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 モノクロ液晶パネルを搭載して、液晶ビュワーを非表示でも撮影ができた。
 光学ファインダーは視度調節が可能。
 ソニーも本気でデザインしたのだろう。

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 液晶ビュワーは標準以上だが、12万円くらいしたカメラなのだ。
 MPEG動画撮影が可能で、それに魅力を感じて大金をはたいた方もいらしたのでは。

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 「6x」はデジタルズーム時の倍率で、実際には光学3倍ズームレンズである。
今なら確実に「詐称」になる。

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 インターフェイスデザインは当時のソニーのポリシーを踏襲している。
 メインの操作はプッシュボタン兼十字キーで行うのだが、どうもタッチングがイマイチで拙僧は馴染めない。
 画面下に並んだメニューから上方向に階層メニューを展開する。

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 滑り止めステッカーが微笑ましいが、この樹脂製ボディは本当に滑りやすいのだ。
 本カメラに限った欠点ではないのだが、何しろ高価なカメラだったから、落としたら半年は立ち直れないだろう。

 本カメラの登場は旧世紀末も差し迫った2000年である。「デジカメでは写真は撮れない」とか言いながらも、帝政フィルム時代の産物である当時のカメラ趣味者のオッサン達は、そろそろデジカメが欲しくなった。当時のデジカメ戦争の陣営としては光学機器メーカー系ではオリンパスがリードしていた。遅れたニコンは1999年に本格的な機動作戦に対応可能なクールピクス950を投入していたが、参謀本部でも運用の妥当性に審議が残り、前線の将兵からの要望を満たす供給量を確保できなかった。キヤノンはひとまずパワーショットシリーズを投入したが、見てくれは名機であるAPS判のIXY(初代)に似たスタイリングを採用していたが、カメラとしての出来は不十分で、凄惨さを増すデジカメ戦争を勝ち抜くには満たなかった。ペンタックスやミノルタは完全に戦いのイニシアチブを失っており、参戦の是非ですら軍部は不確定だった。この頃に、京セラでは内部対立が深刻化し、カメラ事業の撤退に繋がったらしいのが、後の歴史書で露わになる。元気だったのはフジフィルムやコダックであり、双方とも感材や光学機器、写真(画像)運用のインフラを総合的に手中に収めていたから、デジカメ戦争勃興の初期から戦場をリードしていた。その辺りで得た資金やノウハウを元手にメディカル・コスメで成功するフジフィルムと、上手くいかず経営が苦しくなっていくコダックが分岐しはじめたのも、この世紀末あたりだろうな。
 他に伝統的な光学機器メーカーとしてはリコーも初戦で健闘していた。しかし、やがて政治的な事情だと思われるのだが、デジカメに情報端末の機能を組み合わせるようになる。それはそれでRDC−7のような面白いカメラを輩出している。しかし、市場が求めていたのは「フィルムカメラの代用品としての普通のカメラ」だったので、マニアックなフォロワーを形成したものの、シェアを失ってしまう。多分、事務機器メーカーとして成功していたリコー内で内部抗争か足の引っ張り合いがあったのだろう。先の京セラと同様である。その後、リコーは「普通のカメラ」路線に舵を切るのだが、どうにも明確なアイデンティティを構築できず、奇をてらう方向に向かってしまう。教科書ばかりの真面目な人間が芸人の上っ面の真似事をして失敗してしまうのによく似ているた。例えばキャプリオ G3のように、いいように建築デザイナーや広告代理店に翻弄されてしまう。リコーの苦難は、市場が求めているのは自分達が昔から作ってきた「普通のカメラ」だと気付くまでしばらく続く。
                ☆           ☆
 メーカー側の諸事情もあっただろうが、一方の主人公である旧体制オッサン側にも素直にデジカメを買えない事情があったようだ。彼らはバブルも経験しており、業績の悪化を左耳で聞きながらもシリアスなリストラの呼び声も遠く(と誤解していたのだが)、消費意欲は旺盛だった。しかし、既にバブル時代にニコンF5とかキヤノンEOS1Vとか、フィルム資源に大金を投じていたから、素直にデジカメを投入できない。FマウントやEFマウントのデジ一眼レフが中古のカローラよりも遥かに高い時代の話なのだ。それに、家庭内憲兵が目を光らせており、迂闊に「Nikon」などという刻印のカメラらしきものがあれば、特高の逆鱗に触れてしまう。実際にはF5やEOS1Vなんて重くて使っていない不良債権がだから、表に出てしまうと極めて厳しい直面に達してしまう。そういう事情で家電メーカーロゴの方が都合がよい事情もあったようだ。これなら、ビデオカメラの亜種として議会も通るかもしれない。よくわからないのだが、ビデオカメラなら財政憲兵であるママの御目通りが良かったのだ。現在の運動会でもデジ一眼はパパでビデオカメラはママが主流である。
 そうなると可処分所得がだぶついているオッサンの選択肢にソニーは効果的だ。現在では大分苦しい台所のソニーだが、当時は多くの家電機器やIT機器にシェアを確保していた世界有数のブランドだった。なので、ソニーのロゴが増えたのなら、カメラを買ったのではなくパソコン関係のサプライ品とかオーディオ・ビジュアル関係のアクセサリーだと家庭内憲兵が誤解してくれる可能性があった。一眼レフでもないデジカメが、ちょっと気の利いたモデルになると、使い物になるようにメモリーやアクセサリーを含めたら平気で12〜16万円くらいした時代なのである。いくら、バブルの余韻で資産が余っていても、会計の科目を慎重に選ぶ必要がある。そんなオッサンに響くのが本カメラの「バリオゾナー」なのだ。なにしろ「ツアイス」である。本カメラは実売で12万円を超える当時としてもかなり高いカメラなのだが、京セラコンタックスのフィルム一眼レフ用の「バリオゾナー」だったら、もっと痺れる価格帯だったから、むしろお得感が発生したのではないだろうか。
                ☆           ☆
 本カメラの登場は2000年3月である。コンシューマカメラとして300万画素級の撮像素子を搭載した最も初期のモデルであり、前月には世界初のコンシューマー向け300万画素級撮像素子を搭載したQV−3000EXが登場し、同月にはキヤノンのパワーショットS20やオリンパスのキャメディアC−3030が登場した。翌月にはニコンのクールピクス990が登場し、デジカメ戦争の主力機が300万画素級に移行した。いよいよ、戦いは壮絶な打撃戦となったのだ。
 ソニーはフィルムカメラの運用概念を払拭したサーバーショットDSC−F1から始まり、他社とは明確に戦略路線が異なった。しかし、それが市場の高評価を受けたとは言えないな。DSC−Fシリーズは3で滞り、その後は記録媒体としてMDやFDを採用した変なカメラを出し続ける。当時のパソコンは、まだFDDを内蔵しているのは普通だったから利便性を良しとしたのだろうが、130万画素級のMVC−FD88Kだと1枚のFDに4〜5枚の画像しか記録できない。なので大量の嵩張るFDを携帯することになった。なんだか、アトム判の乾板カメラと運用が大して変わらないんじゃないだろうか。サイバーショットが「ツアイス」のレンズを搭載したのはDSC−F55Kあたりからだと思う。「ディスタゴン」ブランドを与えていたのは別に高品質の広角レンズだからアピールしたかったのではなく、DSC−F系ボディの制約上、ズームレンズを搭載できなかっただろう。1999年の後半になって、当時は珍しかった光学5倍ズームレンズをスイバル(回転レンズ)式ボディに組み合わせたDSC−F505Kが登場し、この時に「バリオゾナー」ブランドを与えている。これも高額なカメラだったが、当時は健全だったソニーフォロワーの若者が苦労して費用を捻出して確保したそうだ。しかし、その若すぎるコンセプトとデザインがオッサンにはちゅうちょするものだった。なので「ツアイス」と「ソニー」のコラボレーションによる「普通のカメラ」を、オッサンは渇望した。
 そして登場したのが本カメラである。DSC−Sシリーズの初号機として登場した本カメラの「S」は「スタンダード」を意味するとされる。それで普通(スタンダード)かというと、ちょっと変なデザインではある。しかし、スタイリングはダサいけどレンズユニットが開店した入りしないし、記録媒体だってメモリースティック(当時は一定の評価を得ていた)だから64MBのメモリースティックだったら40枚くらい撮れるし(当時)、何しろ光学ファインダーを搭載している。当時のソニーはバッテリーに自信があったのと、恐らく伝統的なカメラとの差別化で光学ファインダーを登載する例は稀だった。実際、直後に廉価シリーズとして登場したDSC−S50はバリアングル液晶ビュワーが特徴的で面白いカメラだが、光学ファインダーは非搭載である。
 当時のプアな電池環境と燃費の悪いデジカメでは稼働時間が著しく低く、2時間で32枚の画像を撮影するためにに3本の予備バッテリーが必要なのも稀ではなく、液晶ビュワーを消して光学ファインダーを使用した運用は特別ではなかった。しかし、ソニーのバッテリーは当時としては異例な程タフであり、本カメラなら2時間の稼働が可能だった。これにより零式艦戦のような作戦行動範囲を確保できたので、あまり光学ファインダーを積極的に使う意義は無い気がする。前述の通り、64MBのメモリースティックでも、最高画素数だと40枚くらいしか撮れないのだ。128MBのメモリースティックもあったが、なにしろ高額でおいそれと買えるものではない。それでも、貴重な撮影枚数を半日とか1日の作戦稼働時間によって厳選して撮影なさる武士(もののふ)のかたもいらしただろう。
 カタログスペックを簡単に追加すると、撮像素子は1/1.8型の300万画素級撮像素子。レンズはライカ判換算34〜102mmF2.0〜2.5の光学3倍ズームレンズで、当時としてはちょっと広角寄りで「ツアイス」のブランドは兎も角、奢ったものである。最短撮影距離はノーマルAFモードで0.25m、マクロAFモードで0.05mである。スペック上はマクロモードで寄れても、実際にはAFがプアだったりズームレンズのレンジが著しく制限されて使い物にならないデジカメが多かったが、本カメラはかなり使い物になる。MPEG1の動画撮影が売りの一つなのだが、拙僧は使っていないのでわからない。記録媒体の容量がプアの時代なので、運用は限定的だったろう。
 実際に使ってみよう。電源オンから撮影可能状態に至るまで5〜6秒かかるが、これは当時の標準的なデジカメと比べて劣るものではない。ただ、スライドして指に力を入れ続ける電源スイッチを拙僧は好きじゃないな。ボディの割にボタンがちまちましていて操作系は快適とは言えないな。特に、諸設定のメインであるプッシュボタン兼十字キーの節度がイマイチで、階層メニューの合理性の低さと相まって使いやすくない。しかし、この辺りを高評価している方もいらっしゃるので、個人とのマッチングやソニーフォロワーの熱度で変わってくるのだろう。レリーズボタンを押下してからシャッターが切れ、実際に記録を始めるまでのレスポンスも時代的にもっさりである。しかし、概ねAFの精度は良好で被写体によって著しく迷うようなことは少ない。撮影画像もデリケートで落ち着いた発色が好ましい。この世代のデジカメとしては白とびも少ない。AEと撮像素子のダイナミクスレンジのチューニングが成功しているのだろう。好みによっては発色が物足りないかもしれないが、拙僧は高評価だな。ビビットでシャープネスな近代のデジカメに慣れているから、目を休めるにはいい。とにかく、バッテリーが持つのは特筆である。
                ☆           ☆
 最近、久しぶりに写真系フォーラムの飲み会に行ったのだが、ペンデジ一辺倒だったカメラ女子の装備にソニーNEXシリーズが切りこんでいたのが印象的だった。残念ながらニコン1の苦戦は極まりない。キヤノンEOS−MもオッサンがEOS一眼レフデジのサブに携帯しているのを見ただけで、買ってほしい女子が装備しているのを見たことが無いな。
 サイバーショットの中級機以下のモデルやαデジが売れているとは思えないのだが、NEXはやっとシェアを獲得しているように見える。どうも、ソニーもαをデジ一眼化したいらしいが、吉と出るかは微妙だなあ。
 オリンパスもソニーもコンシューマカメラでは奮闘しているようだが、企業としては悲観的な状況のようで上手くいかない物である。「ペン」や「α」のブランドが大陸やインドに流れると嫌だなあ。

 では、撮影結果(名古屋散歩編)を見て頂きたい。

(了:2014/5/19)

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