ソニー サイバーショット DSC−D700について


DSC-D700

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


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 所謂、レンズ一体型一眼レフである。  ライカ判換算で28〜140mmF2〜2.4の光学5倍ズームレンズを登載。

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 実戦に応えるフラッシュを登載。

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 当時は貴重な広角側の28mm。
 グリップも効果的。

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 当時は珍しいマルチモードAEとマニアル露出を登載。

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 パーソナルユースとしては最も初期の一眼レフタイプのデジカメの一つ。

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 複雑な操作に耐えるインターフェイスデザイン。

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 液晶ビュワーで撮影可能。
 当時の一眼レフタイプのデジカメとしては珍しい。

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 記録媒体がPCカードなのが時代を感じる。
 拙僧の個体はメモリースティック用のアダプタカードが付属していた。
 バッテリーも付属していて、店先でテスト撮影もできた。

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 なので店内で図々しく撮影。
 ゴミの中にお宝を見つける。

 本カメラの画質云々を今更評価しても妥当性は薄いであろう。なので時系列的なポジションを推測してみる。本カメラの登場は1998年10月である。同時期のライバルはニコンのクールピクス910やキヤノンのパワーショットプロ70、オリンパスのキャメディアC−1400XLになる。クールピクスは半年前に先行機のクールピクス900が存在し、C−1400XLは1年前に登場したC−1400Lの改良モデルである。本カメラが群を抜いているのはその価格であり、定価ベースで23.5万円だった。クールピクス910は10万円を切っており、同じ一眼レフデジカメのジャンルであるC−1400XLだって12.8万円だった。ちなみに拙僧が見つけた個体は名古屋の大型リサイクルショップで300円だった。面倒くさくて拾うつもりもなかったのだが、バッテリーが生きていてPCカードアダプターに64MBだか128MBだかのメモリースティックが刺さっていたのだ。それで店内を撮影したのだが、それだけでも300円の価値があると思って拾ったな。普通、店内を撮影するのはご法度だけど、こういう機会なら例外なのである。
 1998年といえば、拙僧が荻窪−>下井草での生活に敗北し、帰郷を経由して八王子に居を構えて復興が安定した頃だ。決定的な敗北で残っていた資産はスズキのGSX400Rインパルスだけだったが、それはそれで20代の自分を再起するモチベーションとしては妥当なモノであった。拙僧のしみったれた青い時代は兎も角、1998年と言えば、デジカメ大戦ではフィルムコンパクトカメラの代用品としてファインピクス700が使い物になるのではと認識し始めた頃である。それまでは千葉麗子で誤魔化していたフジフィルムが藤原紀香さんを起用した本気モデルである。今になって冷静に評価すると、画質的にはちょっと厳しい物があって、実際に使い物になったのは1999年に登場したファインピクス1700Zだろうなあ。当時はまだまだフィルムに比べてデジカメのアドバンテージは明確でなく、撮ってスグ確認できる利便性は代えがたいが、写真のクオリティ的にはネガを気の利いたフィルムスキャナーで読み込んだ方がマシな程だった。フィルムのインフラも健全でジャンボの0円プリントが600円くらいだった気がする。そうは言っても、証明写真とか観光写真とか、クオリティよりは失敗のリスクを軽減したいニーズはあった。HPやポスティング広告のようにスピードや単価が肝になった市場もあるのだ。何よりも、アドバンストアマチュアは一眼レフデジカメを渇望していた。当時のデジカメは燃費も悪く小型化も限界があって、薄らデカいボディにフィルムカメラに劣らない撮影枚数を実現するだけで大変だったのだ。一眼レフのギミックを搭載するのはコスト的にも技術的にも難しかった。
                ☆           ☆
 コンシューマ向けデジカメとして最も初期に一眼レフを実現したのがオリンパスのキャメディアC−1400/C−1000Lだろう。一眼レフと言っても基本的にはオートカメラでMFやマニアル露出のようなキメ細かな露出モードを考慮してない。なのでファインダーは明るいがフォーカスの山を確認できる物ではなかった。そもそも、ミラーは固定式で光学系の一部分をファインダーに導く方式である。言ってみれば京セラのサムライと大して変わらない。レフレクスミラーのギミックにコストがかかる都合もあったが、当時のデジカメは撮像素子のリアルタイムに当たる光をコントラストAFで制御していたので、フィルムカメラ型の一眼レフのAFユニットを流用できない事情もあった。本カメラも同様で、一眼レフデジカメとしては最も初期の部類に入るが、基本的にはファインダーでキメ細かなフォーカシングをするカメラではない。そもそも、当時のカメラ人民の方もそこまでデジカメに期待していなかったのではないだろうか。
 本カメラの顕著な魅力はキメ細かなマニアル設定である。絞り優先AEやシャッター速度優先AEの他、マニアル露出も可能である。また、測光モードもスポット測光を選べる。そんなことは80年代のフィルム一眼レフカメラでは当たり前だが、他にそんなカメラが無かったのだから選択肢は無いな。起動は3〜5秒と標準か速い方だ。AFが遅いというコンテンツもあるが、当時の他社製ライバルに比べて劣る程では無いだろうな。何しろライカ判換算で28〜140mmF2〜2.4の広角寄りのレンズは、それだけで23.5万円を払う価値があっただろう。いや、拙僧は払えないけど、必要な方は他にそういうカメラが無かったのだから仕方ないな。
                ☆           ☆
 150万画素級の撮像素子は当時としては奢ったものだし、ダイナミクスレンジも検討している。フィルム一眼レフの代わりとしてはかなりしんどいところもあるが、HPに掲載する商品撮影を次々とこなすプロには他に選択肢は無かったのかもしれないな。本当にコストにシビアな証明写真とか本当のプロのカメラとしてデジカメが対応するのはファインピクス2900Zあたりだろうか。しかし、顧客として実際に金を払う立場からすると、いかにもコンパクトカメラというルックスは不安だから、実際に安心できるようになったのはファインピクス4900Zの配備あたりからだろう。
 そういう意味で言うと23.5万円の本カメラのポジションは不明瞭である。単純に画質で言えばクールピクス900の方が安定的だし、初期投資は半分以下で済む。
 旧世紀には「プロが使うカメラ」が市場に響くマーケティングが存在した。フジフィルムやオリンパスの気合の入った高級機ですら「カフェフォト」や「フォトポエム」で売る現在では想像もできないのだが、旧世紀にはそういう共同幻想が存在したのだ。現在であれば写真で生計を立てるなんでカツカツ感が溢れて汗臭くて嫌な感じだ。
 今更、クラウン=マジェスタにあこがれる若者もいないだろうが、本カメラの登場した1998年には健全な価値観だったのかもしれないな。

 では、撮影結果(名古屋散歩)をご覧頂きたい。

(了:2014/6/12)

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