オリンパス キャメディア C−2500Lについて


C-2500L
一眼レフ型デジカメという、当時は異色のジャンルでオリンパスは先行した。

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


C-2500L C-2500L
 見てくれで高倍率ズームレンズだと勝手に勘違いしたが、光学3倍ズームレンズだった。

C-2500L C-2500L
 ポップアップ式のフラッシュは勝手に光ったりしない。
 そんな事でも嬉しかった20世紀末だなあ。

C-2500L C-2500L
 気合の一眼レフファインダー。
 真面目にMFできる精度ではないが、あるだけ嬉しい。

C-2500L C-2500L
 「New 1.20」の意味するところが分からない。
 本カメラの登場が1999年9月だしなあ。ファームアップでもしたのだろうか。

C-2500L C-2500L
 「L字型レンズ一体式一眼レフ」のデザインはオリンパスにとってはノウハウ豊富な仕事だ。
 当時のデジカメとしては珍しいホットシュー付きで、TTL調光可能な専用ストロボも用意していた(高額)。

C-2500L C-2500L
 操作系は時代並みにシンプルだが、感覚的には分かり易いな。
 液晶ビュワーは撮影時には使えない。

C-2500L
 一応、MFモードを登載。

C-2500L C-2500L
 現在では嬉しいコンパクトフラッシュと単三型電池4本の組合せ。


 実を言うと、本カメラを何時、どこで、いくらで拾ったのかは全く覚えていない。ここ3〜4年の間だと思うので、250万画素級のデジカメを拾ったとしたら500円を超えるとは思えないな。それで拾ってから1年以上もほおっておいた。拙僧は調べもせず、見てくれだけでてっきり本カメラは高倍率ズームレンズとEVFを組わせたカメラだと思っていたのだ。そういうジャンルのカメラの出番は拙僧には少なく、また、他に兌換性の高い同様のジャンルのカメラが有ったので、そっちを優先させたのだ。本カメラを始めて稼働させたのは「甥の運動会戦役」である。多少、専属モデルである所の「姪」に比べると機材のテージが下がるのは否めないな。てっきり望遠側でライカ判相当の300mmクラスをカバーするともっていたのだが、なんと普通の光学3倍ズームレンズなのだ。それにファインダーもEVFじゃなくて光学ファインダー。ということはキャメディアC−2000と変わらないじゃない。何のために偉そうなレンズをつけているの?っと不思議だったのだが、幼稚園の運動会なら作戦は継続可能だった。なんなんだ、このカメラはと思いながらも、大して調べずに数回撮影して、処分した。そしたら、今どきの200万画素級(実際には250万画素)にしては、そこそこイイ値段が付いたのだ。あれ?このカメラって只者ではないのかしら?それで、やっと調べる気になったのだな。
                ☆           ☆
 先に結論を言うと、本カメラは1999年9月に当時はまだまだ稀だったコンシューマー向け一眼レフデジカメとして登場したのだ。2013年の現在の視点だと想像は難しいと思うのだが、レンズは交換できず、一眼レフカメラとしての体裁はとっているが、実際に光学系をミラーで切り替えるのではなく、ハーフミラーかプリズムでファインダーと撮像素子に切り分けている(はず)。同時期に登場したニコンD1は常識的なレンズ交換式一眼レフデジカメで、「ずば抜けて廉価なデジ一眼レフカメラ」と評されてたがボディのみで65万円もした。それで、レンズやら記録媒体やら画像処理系ソフトやらと使い物になる装備を揃えたら、簡単に100万円くらいかかってしまったのだ。まだまだ、普通の写真ファンには一眼レフデジカメは高根の花だったのだ。
 コンシューマ向け一眼レフデジカメとして事実上初のモデルとなったのは、やはりオリンパスが送り出したキャメディアC−1400Lである。当時はコアモデルが35万画素級であり、ちょっと前まで液晶ビュワーが無いデジカメも普通に存在した時代である。かつては撮影結果がその場で確認できないデジカメとか、撮影可能枚数が8枚とか、そんなデジカメが存在したのだ。そんな時代にひとまず一眼レフで、2/3型という大型で140万画素級という高画素の撮像素子を搭載したC−1400Lは「うひょーすげー!!」って感じだったようだ。多分、ホンダからDOHC4気筒のS500/600が登場した時の様に市場は湧いたのではないか。C−1400Lは折角の高画素撮像素子も8MBのスマートメディアにしか対応しない等、何かと使い勝手が悪かった。なので、翌年には改良したキャメディア C−1400XLが登場する。C−1400LにしろC−1400XLにしろ、基本的にはオートカメラで、ユーザーが撮影時に操作できる要素は少ない。それに、一眼レフのファインダーも基本的にはフォーカシングを確かめる制度には至っておらず、京セラサムライ あたりの「全くピントが外れていた時には気づかなくもない」という精度だった。しかし、C−1400XLはバッファリングを行い、撮影レスポンスはフィルムカメラに近い物だった。それに、当時の液晶ビュワーは、かなり高位のモデルでも晴天下で真っ黒になって何が映っているかわからない代物だったから、兎に角、パララクスの無い光学ファインダーというだけでありがたかったのだ。
 本カメラはC−1400XLの後裔機となる一眼レフデジカメである。撮像素子は気合の2/3型250万画素級だ。何だか中途半端だが、1999年というとニコンもソニーも高級機ですら200万画素級だったから、アドバンテージはあった。本カメラの他に、そういうスペックの撮像素子を搭載したデジカメを聞いたことが無いので、本カメラの為に特注したか、或いは他のメーカーは関心を持たなかったのだろう。スタイリングは一新して、それまでの流線型を改めて円筒形のレンズと直線基調のボディを組み合わせている。このスタイリングはオリンパスの高倍率ズームレンズ搭載機のポリシーとなりキャメディアC−2100UZ が受継ぐ。操作系はシンプルそのもので、設定できる項目も限られる。一応、プログラムAEモードの他に、絞り優先AEモードとマニアル露出モードを搭載するが、絞りは「開放」と「絞る」の2段のみである。これが実際に絞り板が介入するのか、単純にNDフィルターで減光しているのかは良くわからない。拙僧はプログラムAEモードでしか使わなかった。ホワイトバランスは比較的細かに設定できる。ISO感度も100〜400の3段を設定できるが、基本的にはISO400は使い物にならないと思った方がイイだろう。一応、MFモードを登載するが、拙僧が素通しの光学ファインダーだと勘違いした程だから、精度の高いフォーカシングは困難だろうな。
 36〜110mmF2.8〜3.9の光学3倍ズームレンズを登載。仕様がC−1400XLと全く同じなのだが、同じものだと断定するコンテンツも有り。ただ、スーパーマクロモードで2cmまで寄れるようになった。これは結構使い物になる。ただ、「通常−>マクロ−>スーパーマクロ」と3段の設定はチマチマして面倒だな。この、スーパーマクロモードというスペシャルなモードはキャメディアC−730UZ でも搭載していたのだが、階層化したメニューを掘り下げる必要があって積極的に使いたい気分が萎える。その頃のオリンパスのユーザーインターフェイスは「仮想十字キー」というポリシーでデザインしていたのだが、褒めた操作系ではないな。そういう意味で言うと、本カメラの方がプリミティブなので感覚的には使い易いだろう。液晶ビュワーは再生時と設定時にしか使うことが出来ず、撮影時には使用できない。折角の一眼レフカメラの体裁なのだから、光学ファインダーを使ったらよかろう。既に手放したので覚えていないのだが、光学ファインダーには露出値とか何かしらの諸情報を表示するとかは一切なく、ただ被写体を投影しているだけだった。それで沢山だという気もするが。
                ☆           ☆
 本カメラの存在意義は、兎にも角にも一眼レフという体裁にある。1999年というとニコンからはクールピクス950 が登場し、オリンパスも後にヒットとなるC−2000シリーズが登場している。気合の250万画素級の撮像素子が実際の画像にどれだけアドバンテージを形成するかというと、正直言ってクールピクス950の方が綺麗な画像を安定的に撮影出来る。安定的という視点からするとC−2000の方が安心できるし、シャープネスには欠けるがウィエッティな絵作りは不快な物ではない。露出の制御の幅は虹彩絞りを採用したC−2000に軍配が上がる。
 本カメラは当時は珍しいホットシューを搭載したデジカメであり、専用ストロボを使うとTTL調光を行ってバウンズ発光で撮影出来るらしい。但し、専用ストロボのFL−40は高額で5万円くらいしたらしい(不明瞭)から、一式揃えるとしたら覚悟がいただろうな。
 物撮りや人物撮りといった商売写真に必要な装備をカタログ上では満たすことになるのだが、本カメラで金銭を受け取るクオリティの画像を維持するとしたら、労力としては割に合わないんじゃないかなあ。コンパクトフラッシュが使える辺りからも、PCとの親和性を考えていると思うのだが。実際に北京の故宮とか万里の長城の記念写真はクールピクス950を使っていて、本カメラを使っている観光地や写真屋さんは見たことは無い。

 では、撮影結果(幼ル革命隊演習編)を見て頂きたい。

(了:2013/8/8)

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